杵築城天守閣
杵築城は、室町時代初期に木付氏によって八坂川の河口にある台山(だいやま)の上に築かれました。台山は、北は高山川、東は守江湾に囲まれた天然の要害です。連郭式の平山城で、台山を空堀により4区画に区切られていました。 当初は台山山城に主郭部が設けられたが、慶長元年(1596年)の震災と、慶長2年(1597年)の暴風雨によって天守などが損壊したため、台山北麓に居館が移され、正保2年(1645年)以降は松平氏により山上の郭群が廃止されています。
戦国時代には大友氏と島津氏の戦いの舞台となり、江戸時代には杵築藩の藩庁が置かれました。城跡は、公園として整備され、山上の天守台跡に博物館と展望台を兼ねた模擬天守が建てられています。

サンドイッチ型城下町日本でただ一つといわれる“サンドイッチ型城下町”。どうしてこう呼ぶのか、この坂を歩いてみるとその理由がわかります。
塩屋の坂と酢屋の坂、これら二つの坂は谷町通りを挟み向かいあうように一直線に結ばれています。つまり、杵築城を中心に据え、それぞれの坂の上、南北の高台に屋敷を構える武士たちは、その谷あいで商いをする商人たちの町を挟むように暮らしていたのです。塩屋の坂から振り返るようにして酢屋の坂を眺めてみると、凹凸のある形状がまさに“サンドイッチ”のように見えてきます。貴重な景色としても訪れる価値のある坂ですが、景色以上に、江戸時代の武士や町人たちの暮らしやこの町の様子をうかがい知ることのできるかけがえのない遺産でもあるのです。その坂の上から眺める景色はとてもダイナミックで、武家屋敷やその茅葺屋根、そして町家の家並みに白壁、石垣、竹林と、貴重なこれらの景色は映画やドラマにもたびたび登場しています。

富貴寺(国宝)
富貴寺(ふきじ)は、大分県豊後高田市田染蕗(たしぶふき)にある天台宗の寺院。山号を蓮華山と称します。本尊は阿弥陀如来、開基は仁聞と伝えられています。
富貴寺大堂(おおどう)は、近畿地方以外に所在する数少ない平安建築のひとつとして貴重な存在であり、1952年11月22日に国宝に指定されています。また、2013年10月17日には、富貴寺境内が史跡に指定されています。

熊野摩崖仏(国の重要文化財)
熊野磨崖仏(くまのまがいぶつ)は、大分県豊後高田市にある平安時代後期の磨崖仏です。国の重要文化財(1964年5月26日指定)及び史跡(1955年2月15日指定)に指定されています。
高さ約8メートルの半身像。比較的軟らかく加工しやすい岩壁に刻まれており風化が進行しているため、明王像ではあるが憤怒の相は現さず、口元に柔和な笑みを浮かべているようにも見えます。左右両脇には高さ約3メートルの矜羯羅童子、制多迦童子像の痕跡が認められます。

両子寺仁王(市指定有形文化財)
石造仁王は全国に分布しているものの、その数は大分県が圧倒的に多く、中でも国東半島には、130を越える仁王が確認されています。
寺域や仏像、神社の守護を目的として造られた仁王像は、鎌倉時代から造られ始め、安土桃山時代に最盛期を迎えました。しかし、江戸時代の後半になると仁王は村全体、個人の信仰の対象として造立、奉納されることが多くなりました。
両子寺の仁王は大型で容相もいかめしく、天衣や裳の表現にもすぐれています。阿形像左手に持つ金剛杵は肩上に構え、右手は腰の位置で拳にする。吽形像右手は肩下掌を前に開き、左手は腰の位置で拳にする。両像とも腹をやや突出し、胸骨や筋肉の表現には力強さが感じられ、国東半島を代表する仁王像です。
銘はなく、寺の伝えによると、文化十一年(1814)の作といわれ、総高245cm(阿形・吽形)、像高230cm(阿形・吽形)石材は角閃安山岩です。

宇佐神宮
宇佐神宮(うさじんぐう)は、大分県宇佐市にある神社。式内社(名神大社3社)、豊前国一宮、勅祭社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
全国に約44,000社ある八幡宮の総本社です。石清水八幡宮・筥崎宮(または鶴岡八幡宮)とともに日本三大八幡宮の一つ。古くは八幡宇佐宮または八幡大菩薩宇佐宮などと呼ばれました。また神仏分離以前は神宮寺の弥勒寺(後述)と一体のものとして、正式には宇佐八幡宮弥勒寺と称していました。現在でも通称として宇佐八幡とも呼ばれています。